ご挨拶&自己紹介と施術への想い

  • ご挨拶

はじめまして、当院のホームページを
ご覧頂き有り難うございます。
院長の井口佳大と申します。

女性に腰痛の原因を説明する院長

大学の傍らWスクールで、計5500時間近くの
専門教育を受けた後 昭和60年に
医療系国家資格の「柔道整復師免許」を、
翌昭和61年に 同じく「鍼師と灸師免許」を、
そして平成10年にケアマネージャーの
資格を取得し現在に至ります。

院長の所持する資格の免状

このページを ご覧下さっている事からも、
あなたは何かの辛さでお悩みでしょうか?
どのような症状でお困りになられてますか?

「このままどうなるんだろう」と
「もっと悪くなったらどうしよう…」と、
不安になってらしてはおられませんか? 

また特に痛い訳ではないのだけれど、
ずっと消えない違和感や、不定愁訴等の
検査をしても原因がはっきりしない
お辛さ等の お医者様や病院では
打つ手が見つからない事が多い症状に
苦しんでおられませんか?

大丈夫です!

人の身体は十人十色、症状病状は患者さまの
数だけありますが、それぞれの症状、
そして お体に合った施術さえしていけば、
どんなに辛い状況でも お体は
たとえユックリでも必ず応えてくれます。

当院にお越し下さる患者さまの
ほとんどが慢性症状にお悩みの方達です。
もちろん1回2回の施術で
晴天快晴 体調万全 不調絶無!は 無理です
身体はそんなに簡単ではありませんから。

でも多くの患者さまは、しばらく必要な期間
当院を御利用下さった結果、なさりたい事を
好きな時にできるコンディションを
手に入れて下さっています。

当院は「根本の原因である問題」や
「誘因となる日常動作」を、丁寧な
カウンセリングを通して明確にする事で
解消する為の方法を御用意できるからこそ
「慢性症状専門院」を名乗っています。

あなたは「あきらめずに治りたい」と
願われていますか?
今日は「できない」事でも、
明日は「できる」様になりたいですか?

もしそうであれば、当院にご相談下さい。
きっとあなたは良くなります!
そんなあなたの想いに、
当院 せいたい岡山は全力でお応えします!

どうかお任せ下さい。

腰痛が治った女性患者と談笑する院長

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  • 自己紹介

多くの患者さまは、初めて行く医療機関の
ご自身の担当の人となりについて
「どんな人に施術されるんだろう?」と
不安を覚えるそうです(当院調べ)。

そしてあらかじめ、プロフィールが
分かっているとリラックスした上で
施術を受けられるからでしょうか
改善の度合いが、上がるそうです。

そんな話で 回復への一助として、
良ければ「自己紹介」を御一読下さい。

1965年12月23日京都に生まれ、
成人過ぎまで西陣で育ちました。
家は昔からの鍼灸師で、なんとなく
跡を継ぐんだろうなと思ってました。

学区が教育熱心なエリアだったためでしょう
小学校時代の記憶は中学受験に向けて通った
塾の記憶ばかりです。
とはいえ放課後の延長みたいな塾だったので
決して暗い記憶、悲惨な子供時代って訳では
無かったと思います。

柔道の試合

中学から友達に誘われて柔道を始めました。
強くはないものの 始めてみると面白くて、
高校卒業時には弐段にまでなれました。
ただチビで中量級(70kg級)の僕は、
重い人との練習で「体中の」と言える位、
関節を痛めてしまいました。

そのケアをして支えてくれたのが、
鍼灸師会の役員だった父…
その背中に憧れてこの業界に… 
ならば美談なのですが、その頃の父は
会務に忙しくて院に ほぼおらず
体のメンテはいつもお弟子の先生方に
お世話になってました。

学校のスポーツ保険の書類の関係で、
近所にあった有名な整形外科病院にも
数回通ったのですが、
治るのか と問われれば… 残念ながら。
そんなで しょっちゅう自宅から徒歩5分の
父の鍼灸院に出入りしていました。

整形外科を受診

当時 父の院は 結構流行ってましたから、
行けば 必ず患者さんがおいででした。
そんなですから患者さんと 先生方の会話も、
聞くとは無しに耳に入ってくる訳です、
「楽になったわぁ」「ありがとねぇ」とか。

「人に喜んでもらえて、お金まで貰える」
「この仕事が大好きだ」と、そんな風に
語ってるような お弟子さん達の横顔を見て
いつか「自分ちの家業って 良いかも」と
僕も思い始めていたようです。

卒業して

鍼灸科を卒業して国家資格を取得しましたが
鍼灸も整体も 職人仕事の類ですから、
すぐに一人前になれる訳ではありません。
なので2年ほど 他所の釜の飯を食う事に。

修行先は業界団体の お偉い先生が経営する
有名な「接骨院」に 母校の副校長先生から
推薦状を頂いて入職させて頂きました。

昭和の話ですから、すぐに手が飛んでくる
そんな厳しい指導環境でした。
でも資格を持っているだけの素人だった僕が
とりあえず治療らしい事が出来る所までは
育てて頂けた事から考えると、
有意義な2年間だったと言えるのでしょう。

実家では

修行が明けて 父の院に移る日が来ました。
そんな僕を待っていたのは
「お父さん先生の息子さんだから、
 当然腕は良いんだよね」的な
プレッシャー10割増しの環境でした。

悩む人

実際の話 父どころか、お弟子さんにすら
5年10年では追いつけない力量差でしたから
「それまでにコッチの胃がやられるわっ!」
と、けっこう追い詰められた僕は
鍼灸が比較的苦手な、変形性関節症等の
体のパーツ自体が壊れている問題に対して
有効な、修行先で身に付けた整体技術を
取り入れて治療効果を上げようとしました。

とは言え親子でも、自分の院ではありません
本来なら勝手は駄目、でも若かったんですね
「いや患者さん優先で考えたらアリでしょ」
と 今から思えば組織のルールなんて
何も気にせず の、傍若無人ぶりでした。

口論する人

当然「やり方を変えろ・変えない」
「いう事をきけ・きかない」しまいには
感情的な ぶつかり合いにまでなった挙句に
入社4年が過ぎた時点で独立して 自分の院を
開業しました、28歳の冬でした。

勢いで独立はしましたが鼻息ほどに腕は無く
まして経営のノウハウなんて サッパリな
僕の院経営は、すぐピンチを迎えました。
広告の出し方も分かってなかった位ですから
そもそも患者さんがお越し下さいませんし、
来て下さった患者さんも、そうは治せないし
「もう閉院しなくちゃダメか…」と
心が折れそうな位 痛い目に逢いました。

師匠と弟子

このままでは院が潰れてしまう と、
焦った僕は 藁に縋るような思いで
「先ずはもっと技術を身に付けよう」と
勉強会を周る中で、運のいい事に
師匠と呼べる方に出会う事ができました。

良い巡りは勢いが付くのか、ありがたい事に
いつしか経営も軌道に乗っていました。
これが巡り巡って、現在 岡山の庭瀬で
開業している事に繋がっています。

でも本当は

当時 師匠のおかげで、院の経営がなんとか
持ち直せたのは間違いないです。
だから今でも師匠の眠っている方には足を
向けては寝られないと思っています。
でも一番に僕を助けて育てて下さったのは、
大事なお体を任せて頂いた上で
そのお体を通じて施術とは何か を
学ばせて下さった 御来院頂いた全ての
患者さまだって事が本当だと思いますし、
だから今の僕が在ると思ってもいます。

院長と女性スタッフ

その恩返しの為に、今日もそして今後も、
縁があって、お越し下さった患者さまの
助けに少しでもなれるように
精進を続けたく思っています。

せいたい岡山 施術責任者 井口佳大

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